タイムス住宅新聞『フォCafe』
『台風と掛け算九九』
照屋寛公
小・中・高校と石垣島で過ごした。島内の新川という古い農村集落で育った。二十分ほど歩くと小学校に着く、車の往来の少ない裏通りを自分の通学路と決めていた。
少々にぎやかな表通りとちがい福木と石積みに囲まれた静かな裏通りが好きだからだ。その頃は赤瓦屋根の家が多く、所々まばらに茅葺の家が残っていた。
大きな台風の去った翌日の通学路は飛ばされた赤瓦の破片、折れた木々で道をふさいでいた。そして無残にも倒壊した茅葺家の残骸がいまでも記憶に残っている。
台風の去った集落の変わりように子供ながら自然の恐ろしさを感じたものだ。
その気持ちと逆に子供にとって台風接近はなんとも心ウキウキであった。今にして思うと不謹慎である。大人の心配をよそに「暴風警報」の広報をひそかに心待ちにしていた。
台風で学校が休みになる嬉しさは今の子供たちも同様であろう。いつの時代も子供心は変わらない。変わったものと言えば、今はほとんどなくなった台風の停電である。暗闇のろうそくのくらし。家族・兄弟で円卓のろうそくの下でトランプをして遊んだ。食事など少々不自由だがその不便さが妙に新鮮でいつもは体験できない生活が楽しかった。ろうそくの下では勉強もできない。何日も続いて欲しかった。ある夜、暗闇から親の声。なんと、掛け算九九を言ってみなさいである。さすがにまいった。今でも台風になると闇夜の掛け算九九暗誦が頭にうかぶ。
(建築家)
KID頃を楽しむ家 大海原を望む家 中庭のある家 碁 House 神ヤーのある家
チェックスクリーン 南にまなざされた家 The Generation フォークシンガーの家 Sunset Screen
パティオが結ぶ親子の家 竹林のある家 二棟の家 音楽家夫妻の家 光井戸のある家(東町の家)
海んちゅの家 ぎんねむホールのある家
人類学者の家(閉塞から開放へ変貌の家) リ・ライフする家 住み継ぐ家 東シナ海を望む家 シンボルツリーのある家





001
KID頃を楽しむ家 新聞タイトル:『健築士の家』 
見出し:
子供の頃を楽しむ/家族共有の時空間

 石垣島に住む「一級健築士」の家を設計することになった。初めてお会いした折「私も健築士です」という挨拶に少々びっくりした。しかしよくよく聞いてみてうなずけた。
 内科の医師で人々の健康を築く職業であると自負され自称「建築士」としゃれているのであった。喫煙の害を説く本土出身の医師として島では有名な方である。医師は病を治すだけではなく病気にならない指導をすることも大切な仕事であるということから「健築」である。
 ところで、ある企業がおこなった家を造る動機を尋ねたアンケートによると子供の就学期に住まいづくりを考えたという意見が圧倒的。そして細かな要望を尋ねた欄をみると子供部屋へのこだわりは強いわりに家族の暮らし方への夢が小さいのは意外であった。
石垣島の「健築士」の家も小学校高学年の子供を筆頭に末の子が就学をきっかけに住まいを造ることになった。
 この家で最も中心的な役割をしているのが天井高六㍍、三十三畳のゆったりしたリビング・ダイニングの大空間である。そこは家の中心に位置しこの場から家のすべてが見通せる。同時にここを経由してすべての部屋がつながる仕掛にしてある。
 日々、親は仕事におわれ、一方子供たちは学校・塾そして習い事でせわしい。しかし帰宅し夕食から就寝までは大切なひと時である。ましてや週末は家族で共有できる唯一の時間。休日には音楽好きな友人を招きリビングのグランドピアノで音楽を楽しんだりウッドデッキの中庭でバーベキューに舌鼓をうつ。
 リビングの一部に設けられた広々とした図書室のような読書コーナーは子供の友達にも活用され人気の場所。壁打ちテニスやバスケットリングあるスポーツコートは家族で汗を流す空間になっている。家族共有の「時空間」をリビングそして半戸外空間で楽しんでいるのである。
 子供は就学期までの時期を親元で過ごし、いずれ独立していく。その期間はひと昔前にくらべ格段に短くなってきた。家族が同じ屋根の下で暮らす期間は親と子そして兄弟にとって一層貴重な時になっている。
 住まいづくりはその地域風土に合った快適な家であるのは当然。今日では家は住むだけの器ではなく家族の大切な「時間」を家という「空間」で楽しむ時代になってきている。
施主の名前は城所(きどころ)さん。「きどころ」→「キッド頃」→「KID頃」である。そしてこの家を『KID頃を楽しむ家』とネーミングしてしゃれてみた。
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002
大海原を望む家  新聞タイトル:『大海原を望む』
見出し:
海と住まいをデッキで結ぶ/人生を楽しむ空間

 沖縄の青く澄んだ空そしてエメラルドに輝く海を眺める暮らしを夢見る夫妻に出会った。
 建築家と二人三脚の土地探しが二年間続いた。そして方々からの情報を元に三人で幾度も現地を訪ね歩いた。海を眺めると言ってもその景観は千差万別、海水に手を触れるほど近い海もあれば遠くに潮騒が聞こえる海もある。
 夫妻は空と海とそして廻りの緑が暮らしに溶け込み自然と連続した住まいを望んでいた。そしてやっと理想的な土地にめぐり合った。そこは古い集落のはずれに位置し近くには抜群のロケーションを求めて移り住んだ人々の家が点在していた。
 敷地は海に向かって傾斜し海辺に近い平坦な場所には集落の人々が耕すサトウキビ・野菜の畑が青々と茂っていた。眼下には緑そして大海原が一八○度パノラマ状に広がり真東の水平線には真一文字に神の島・久高島が浮かんでいた。
 さて抜群の景観そして自然をいかに取り込むかが設計のポイントであった。当然ながら住まいのすべての部屋から海が望めるように考えた。その中でも最も注目したのは生活の中心となるリビングダイニングである。そこは住宅の中央に位置し、しかも円形の空間とした。円の半分は海に向かってパノラマに開放し残りの半分が各部屋と連続的に結びついている。しかも部屋の間仕切りを可能な限りなくしているのである。
 さらに海と住まいを強烈に結びつけているのがリビングの前に設けたウッドデッキテラスである。幅十㍍奥行五㍍と敷地幅のほぼ全面を海に開放的に向けている。同時にデッキは浴室・寝室にも接していて生活空間すべてがデッキを通じて海へつながる構成。そこは時折食事の空間にもなり同時に来客をもてなす場にもなる。
 眼前の大海原と居住を強烈に結びつける役目がこの開放的なウッドデッキテラスである。個々の部屋が単純に海に向くだけではリゾートホテルの客室の窓から見える切り取られた自然にすぎない。
 海を望む住まいは生活すべてが自然の魅力を満喫しその感激を暮らしの中に活かす必要があると思う。
 週末には親しい友人達がテラス脇のバーベキュー台を囲みながら絶景を満喫している。住まいづくりは家族の想いを叶える環境を追求ことが大切。一生の住まいを短絡的に妥協して決めるのではなく我が家のライフスタイルそして暮らしに対する価値観を最も大切にすべきだと思う。
家は単純な住むためだけの器ではなく人生を楽しむための空間として求められる時代になってきている。
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003
中庭のある家  新聞タイトル:『中庭が結ぶ親子の家』
見出し:変形敷地を有効に活用/独立した住まいに仕掛け

 先日東京に出向く機会があった。田園都市と呼ばれる高級住宅街に久しぶりに行ってみた。学生時代の低層住宅街という印象と違い二・三階建て住宅が多く目についた。当時とは幾分変わった表情の街を歩いて門扉の表札の文字が目に入った、親子二世帯の住まいが増えてきていたのである。
 日本の住宅は歴史的に親子二世代以上の家族が同じ家に同居する大家族の時代があった。戦後、高度成長の前後から若い労働人口が都市へ流出し核家族の居住形態へと変わってきた。土地の効率的な利用からアパート・分譲マンション等が次第に都市に増えてきた。しかし、庭付きの戸建住宅への憧れから郊外に土地を求めて移り住む時代を経て今日に至ってきた。
 しかし近年になって郊外での居住にも様々な支障がでてきた。将来を危惧し志向が変化してきたのである。通勤時間・子供の教育そして老後の十分な高度医療を望む声があがってきた。そして新たな土地の入手が経済的にも厳しい現状から巣立った土地での親との同居が増えてきたのである。同時に沖縄では米軍基地の存在も住宅地不足に拍車をかけてきたであろう。
 今日紹介の住まいは古い住宅密集地、野球のホームベースをいびつにした変形五角形の敷地をしていた。二世帯の住まいは土地形態から無理だろうと考えた施主は土地を手放し、新たな矩形の土地入手を考えていた。しかし変形した土地の魅力を逆に住まいの面白さに提案することにした。
 お互いの所帯は上下階に独立した住まいを望んでいた。ある程度敷地にゆとりがあり実現可能な状況にあった。上下階の住まいを各敷地境界のラインに平行の住宅形態にした。結果、中央部分に敷地の形態と相似形の中庭ができたのである。そしていびつな中庭が上下階の所帯を貫く造りになったのである。
 中庭を通じて孫と祖父母が声を掛け合ったり、その場が朝夕の屋外のリビング・ダイニングになったりとお互いの所帯にとって有意義でかけがえのない空間になったのである。また、玄関アプローチではお互いの外出・帰宅の気配が確認できるつくりにした。近隣の住宅環境が変わっても光・風の取り込み等ハード・ソフト共、居住性が将来も変わらない家の仕掛けにした。
 親子二世帯の住宅はさまざまな居住形態がある、ライフスタイルが異なっていて当然だと思う。しかし親子所帯が無味乾燥に独立していたらそれは賃貸マンションとさほど変わらないのではないだろうか。独立したつくりであろうが、お互いの住まいが何らかの仕掛けでつながり気配を感じながら住むことでさらに二世帯住宅の意義深さが増すのではないだろうか。
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004
碁 House  新聞タイトル:『趣味空間を創る』
見出し:延びてきた夫婦の時間/新築時に第二の人生設計も

 戦前・戦後の夫婦が二人で過ごす時間を比較した興味深いデータがある。戦前は二~三人、多くて六人の子供を出産する、戦後は一~二人。その後、末の子が独立し夫婦二人で過ごす年数は戦前で十年程度、戦後は二十年から三十年という。
 二人で過ごす年数が戦後は二~三倍も延びたということだから驚きである。極端に言えば戦前は子育てで一生を終えたと言っても過言ではない。
 ところで、延びたと言えば飛躍的に延びたのが戦後の建築の耐用年数である。戦前の沖縄の住宅建築は木造建築が主、毎年くる強烈な台風に雨漏り、建物の破損で我々の先人は毎年泣かされたに違いない。
 戦後は木造から鉄筋コンクリート造に構造体が変わり住宅の頑丈さは比較にならない。近年、建築技術・性能品質ともに格段と向上し、最近まで議論になっていたバリアフリーは、ほぼ完璧になってきている。
 さて、夫婦で過ごす年数と建物の耐用年数いずれも延びてきた。意外にも両者には密接な関係があるのである。子供が就学時期になって部屋を確保するために急きょ住宅建築の計画を決意した。これはよく耳にする話である。
 しかし、その子供も独立し残った部屋は現在どうなっているだろうか。物置同然になってはいないだろうか。建築の耐用年数が延びてきたと同時に子供の独立時期も早くなってきている。
 その結果、活用されない部屋を放置しながら窮屈な家の中、夫婦で長い年数過ごすことになっていないだろうか。
 住まい造りは家族にとって一大事業であることは戦前も今日もかわらない。しかし建築の耐用年数が延びてきた今日、住宅に少々手を加えることで夫婦の第二の人生に大いに活用できる空間ができたらどうだろう。
 その計画を子供の独立時に始めるのではなく新築時にすでに意識してスタートしたいものである。夫婦共通の趣味があれば結構なこと。別な趣味であればまたそれもいい。
 最近、設計依頼のときに施主夫妻の趣味を詳しく尋ねることにしている。「私達は無趣味なんです!」なんて話している二人も話をしてみると庭いじり・カラオケ・アマチュア無線からプロ顔負けの水中写真まである。    
 このところ建築家として新築時に必ずささやかな趣味空間を創ることを提案している。そして子供の独立後は住まいの一部を趣味空間に変わる仕掛けを当初の設計にプログラムしているのである。
 家族にとって「新築の住宅設計」は同時に夫婦の「第二の人生設計」スタートの千載一遇のチャンスでもあると思うがどうだろうか。
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005
神ヤーのある家

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006
チェックスクリーン  新聞タイトル:『市松模様の家』
見出し:敷地のクセ逆に活用/壁面はアルミ格子に

 住宅を計画中の施主に案内されて初めてその敷地を見る時、言い知れぬ緊張と期待感を覚える。敷地が変形していたり高低差があったりすると施主は「設計しづらいでしょう。」と申し訳なさそうに話すことが多い。ところが設計者としてそのような土地に遭遇すると内心わくわくしてしまう。敷地のもついクセは逆に住まいのコンセプトを考える際の大きなヒントになるからである。
 今日紹介の住まいは区画整理地内に建つ家。すでに建ち並ぶ隣家の土地は短冊状にキチット分割されていた。一区画の端の角地、取り残されたように台形の地型おまけに高低差があった。その形態から長い間買い手がつかずに売れ残ったのだという。初めて敷地を見たとき道路向こうの中学校のグランドのほぼ十㍍高さの土手にぎんねむの樹木群が広がっているのが目についた。土地は四二坪とさほど広くない。その上親子二世帯住宅で駐車スペースを五台欲しいとのことであった。さて、この要望をいかに解決するかである。敷地形態のもつクセと樹林群をうまく利用できないだろうかと考えた。
 角地の一辺の道路から車をアプローチ、高低差を利用して半地下状態の駐車場を計画し要求台数は達成された。直角部分が確保できる西面に浴室トイレなどの水廻りを充てた。ぎんねむの樹木群は東側に面していたのでその面に主な部屋を配置。全ての部屋に朝日があたり、緑を真正面に望む抜群の住環境造ることができた。おまけに緑の土手は中学校のグランドということもあり永遠に視線を気にすることはないのである。この設計提案に施主は大満足であった。
 ところが美観的な問題が生じた。リビング・ダイニング・寝室・子供室など住宅の全ての部屋を同一面に配置して居住性は抜群になった。しかし、窓の形態がばらばらの外観になってしまったのである。お世辞にもバランスのとれた建築のファサード(正面)ではないのである。
 メインの六㍍の道路の向う端に立って地上から見上げる角度を模型でシュミレーションしてみた。地上道路からばらばらの窓が視線に入らない角度を見つけることができた。
 その角度を逆に利用することにした。アルミ製の一定形状の格子パーツをつくり九十度ずつ振って壁面全面を市松模様のダイナミックな壁面にした。住まいの全ての部屋から緑が望め、そして地上からは住まいの室内の様子が全く分からない仕掛けが実現できたのである。
 一見不都合に見える敷地のクセも知恵と工夫そして近隣の環境を読み解くことで豊かで個性的な建築が実現できるのではないだろか。
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007
南にまなざされた家  新聞タイトル:『南にまなざされた家』
見出し:自然の涼風呼び込む/豊穣の郷地向く空間

 家づくり、工事着手時に行われる儀礼に地鎮祭がある。仕事柄、年に幾度か出席する。民俗学者の施主の希望で久高島からカミンチュ(神女)に来ていただいた。
 通常神式では北の方位に向かって祭壇が設置される。しかし神女は南に向かって祈りをささげると告げて特段祭壇などの準備はなかった。意外にもブロックの上にハンマーを一つ用意するように指示された。工事関係者はまだ事態が理解されていなかった。神女は一通りの祈願の口上を述べるとおもむろ用意されたハンマーでブロックを三度たたいた。
 沖縄大百科事典によると屋敷(ヤシチ)ぬ御願(ウガン)が地鎮祭にあたりティンダティが起工式にあたるという。しかしなぜブロックにハンマーなのか。
 「ティンダティ」の言葉の意味を調べていたら謎が解けた。「手斧(ておの)立て」である、本来は製材前の荒削りの木を手斧で三度たたきその後製材された角材をゲンノーで三度たたく所作をティンダティと呼んで工事の安全を祈願したという。それは先人が山から木を切り出す時点から住まいづくりが始まっていて森への敬愛と工事安全を祈願する想いがうかがい知れた。
 それと祈りが北の方向ではなく南に向かっていた。特別な訳のない限り先人は住まいを南向きにしている、自然の涼風を呼びこみ来客を迎えるからである。豊穣をもたらす「ニライカナイ」の郷地は諸説あろうが住まいに豊穣をもたらすニライカナイは南の方向に存在するのではないだろうか。
さて、北側に小高い丘をいだき南傾斜の古い集落に計画地はあった。初めて敷地を見た、南からの涼風がとても心地よくしばらくたたずんでいた。ゴーヤなど数々の野菜が植えられた土地を見るとその環境の良さに確信がもてた。
 大げさな造成工事などせずに緩やかな傾斜を素直に活かしたいと思った。敷地南側のほぼ半分はウッドデッキと芝生の解放的な庭である。そして庭と水平方向にリビング・ダイニングそしてキッチンを連続してつなげた。垂直方向へ来客の玄関そしてリビング二階は寝室・子供室へと空間を展開させた。住まいの中心には核となる天井高六㍍の吹抜のリビング大空間。そこからは個室の家族の気配が感じられる。もちろん全ての部屋はニライカナイの南に面している。来客用の玄関とは別に二・三軒先に住む母が気兼ねなく立ち寄れるアプローチが庭空間と一体につくられている。
南に向かって祈りをささげる神女を見ていると大地に住まいを築く感謝と先人の南への想いを一層強く感じた。
 「南にまなざされた家」は施主の論文『王権にまなざされた島』をもじり友人である文学者と共にネーミングした名前である。 
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008
The Generation  新聞タイトル:『部屋の数』
見出し:リビング空間に変化/個室より家族団らん

  古い農村集落に建つ沖縄伝統家屋に生まれ育った。もう今日の都市部では少なくなった祖父母・両親そして子供達三世代の住まい。一・二・三番座そして裏座の間取りである。
 一番座はお正月、仏間の二番座はお盆などで利用されていた。その間のふすまなどの仕切りを開放すれば住まいの中に水平的な大空間が出現するのである。間仕切りを行事の用途に応じて変えていく、それは先人の考え出した巧みな知恵に思える。
 一方、日常生活では祖父母は二番座、両親と子供達の寝室は裏座である。高校受験の頃であろうか、やっと子供部屋が一つ与えられた。伝統家屋では年中行事などを尊重している半面環境的に日々の生活はかなり犠牲にしているように思えた。
 当時、地方ではこのような住まい方はさほど驚くほど不思議ではなかったと思う。
 歴史的に昭和初めの頃公団住宅の基本プランが完成しnLDKという言葉が生まれ、住まいの規模は文化水準の指標にもなっていた。nは個室の数でLDKはリビング・ダイニング・キッチンである。
 LDKのない住宅はないわけだからnの数が増えれば部屋数が多くなる、つまり規模の大きな住宅と言えるのである。
 近年の核家族の増加と少子化の影響であろうかnの数の少ない住宅が増えてきた。ところが全体の面積は減るどころか増える方向にあるという。これは主寝室、子供の部屋以外はLDKの規模が広くなったことに原因がある。
 以前は広い子供部屋を望むことが多かった。極端な例では年に一度の誕生会のために部屋を設けて欲しいという施主もいた。
 ところが最近では勉強等に集中するためにも部屋は可能な限り狭い方がいいという考え方も増えている。それは子供が部屋の閉じこもらずできるだけリビング空間で過ごして欲しいという親の願いもあると思う。
 また最近では進学等で親元を離れて暮らす時期が早くなってきた。そのせいで家族が同じ屋根の下で暮らす期間が短くなってきているのも現実である。それゆえ家族団らんの必要性が一層増してきているのではないだろうか。
 リビング・ダイニング空間の設計は最も長い時間をかけてその家庭独自で個性的な答えを生み出すことにしている。
 伝統家屋の主流の時代には年中行事を重視し明確な家族の個室など存在すらしなかった。そして高気密・高断熱の広い個室空間を数多く求める時代もあった。今日では個室空間はできるだけ小さくし長い時間過ごせる快適で豊かなリビング空間を求める時代になった。
 今後高齢化が進み社会的に自宅介護も一層求められるであろう。長い年月の間には家族構成も変化するであろう。様々な住まいの場面でいつでも暮らしを楽しめる緻密なプログラムを新築時の設計で求められるようになってきた。
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009
フォークシンガーの家  新聞タイトル:『リハーサルホール併設』
見出し:「生活」と「趣味」の空間が連続/大きな音も気にせず

 井上陽水・吉田拓郎・かぐや姫・サイモン&ガーファンクル・・・フォーク全盛時代があった。彼らの歌の歌誌に自分の青春をダブらせ自分でもギターを奏でてコピーをしていた。憧れを夢に変えそして住まいに音楽空間を造ったミュージシャンの家が紹介の住宅である。
 デュオを組んでいる二人は、高校の先輩後輩の間柄、同じ趣味を持つ二人は、偶然同じ職場で知り合い音楽活動をするようになった。当然のようにコピーレベルに満足することなくオリジナル曲を創り次第にライブのチャンスが増えてきた。
 悩みのタネはリハーサルの場であった。これは音楽を趣味・職業とする人が最も苦悩することのひとつでもある。彼らは月に一・二度スタジオを借りてリハーサルをしていた。その費用の問題と同時に近隣への音の迷惑を全く気のせず思いっきり好きな時間に練習ができる空間が夢であった。
 彼らの作る曲・コピー曲が好きで時々ライブに出かけた。夢の空間をイメージしながらライブを楽しむ機会が幾度かあった。後輩のI氏が施主である。思いっきり練習のできる音楽空間がある住まいを造ることになった。音楽ホール併設住宅を設計の際、配慮することのひとつに近隣への音の問題がある。これは音が漏れないように防音を十分行うことで可能になる。
 もうひとつは家族の生活空間への配慮である。これも十分防音を行うことで解決できることではある。しかし 生活空間と音楽空間のお互いの機能は満足していても双方の関係が閉塞的になるおそれがある。
 互いの空間の間に開放的なパティオ(中庭)を造る提案をした。そこは時には生活空間の延長として時には音楽空間の延長として全体が串刺し状に連続していて多様な可能性をもつ空間となった。
 防音だけを配慮した単純なホールにならないようにコンピュータで音響シュミレーションチェックをした。その結果、生音の演奏で臨場感が十分味わえるような仕掛けの空間になった。又、ホールに連続した二階席からはリハーサルの様子がチェックできるようになっている。
 DVD・スクリーンの設置された本格的なホールが実現、二十四時間好きな時間に思いっきり音楽が楽しめるようになった。
 生活ができる最低限の住宅に満足していた先人の歴史があった。毎年やってくる猛烈な台風に強靭に耐えてくれる頑丈な建築を造ることが必須条件な時代もあった。今日、建築施工技術の進歩、丈夫な建築材料の開発など不可能なことがないと言っても過言ではない。趣味の空間でも住み手の個性を十分活かした本格的な空間が住まいに求められる時代になってきた。
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010
Sunset Screen  新聞タイトル:『西側眺望を生かす』
見出し:窓開け放ち景色楽しむ/格子戸で西日対策

 『朝日のあたる家』という曲を「ザ・アニマルズ」というグループが歌っていた。その曲のメロディーラインがなんとも印象深く記憶に残っている。今日紹介の住まいは朝日もあたるが西日もあたる家である。巧みに西日をコントロールした眺望抜群の住まいが実現した。 
 建替え前の住まいを見た折、不思議な敷地環境に少々驚いた。住宅のやや密集した地域、高台に住まいは建っていた。住宅にしては珍しく三方が道路に接し一方の西側だけは広々とした畑に接していた。その眼下遠方に東シナ海そして慶良間諸島が見える抜群の環境であった。朝日で目覚めるように寝室を東に面すること、南からの涼風を住宅に取り込むことは設計上難なく実現できた。
 さて問題は西面をどのように扱うかであった。一般に西日のあたる面は消極的にクローズされがちである。この住まいでは西面をテーマとして積極的に扱いたかった。それは抜群な眺望を生活におおいに取り込みたかったからであった。親子二世帯の住まい、いずれの世帯でも慶良間の島々を終日眺めることのできる暮らしを目指した。
 来客の多い生活環境、駐車スペースを可能な限り多く確保すべきであった。一階は全て駐車場、二階は親世帯、三階は子供の世帯そして屋上庭園を含めて全てのフロアから慶良間諸島の浮ぶ真っ青な海を望む平面構成とした。高台に建つ眺望抜群の住まいの提案はもちろん施主を十分満足させることができた。
しかし問題は西日対策であった。単純に西側全面を日除け格子でカットすることは可能である。しかし抜群な景色を格子越しに眺めるようなことはしたくなかった。普段は眼前に何の障害もなく眺望を楽しんで西日の辛い時間帯のみ日除けでカットできる「虫のいい」ことができないものかと考えた。
ヒントがなんと沖縄の伝統家屋にあった。先人は日中、木戸を戸袋に収め住まいの間口を全て開け放ち開放的に暮らしていた。その応用で日除け格子のアルミサッシュを各フロア西側全面のテラスに設置した。
 西日のきびしい時間帯以外は格子戸が戸袋に収納され、日が西に傾く頃になるとたやすく戸袋から引き出されて西日をカットしてくれるのである。またその時間帯を過ぎれば戸袋に収納され眼下に何の障害もなく夜景をも楽しめる開放的な仕掛けにしたのである。
 住まいづくりで敷地の環境条件は常に都合のいい場合とは限らない。むしろ不都合な場合の方が多い、住まいの快適さは様々な知恵と工夫で一層倍増されるのではないだろうか。
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011
パティオが結ぶ親子の家  新聞タイトル:『中庭が結ぶ親子の家』
見出し:変形敷地を有効に活用/独立した住まいに仕掛け  

 先日東京に出向く機会があった。田園都市と呼ばれる高級住宅街に久しぶりに行ってみた。学生時代の低層住宅街という印象と違い二・三階建て住宅が多く目についた。当時とは幾分変わった表情の街を歩いて門扉の表札の文字が目に入った、親子二世帯の住まいが増えてきていたのである。
 日本の住宅は歴史的に親子二世代以上の家族が同じ家に同居する大家族の時代があった。戦後、高度成長の前後から若い労働人口が都市へ流出し核家族の居住形態へと変わってきた。土地の効率的な利用からアパート・分譲マンション等が次第に都市に増えてきた。しかし、庭付きの戸建住宅への憧れから郊外に土地を求めて移り住む時代を経て今日に至ってきた。
 しかし近年になって郊外での居住にも様々な支障がでてきた。将来を危惧し志向が変化してきたのである。通勤時間・子供の教育そして老後の十分な高度医療を望む声があがってきた。そして新たな土地の入手が経済的にも厳しい現状から巣立った土地での親との同居が増えてきたのである。同時に沖縄では米軍基地の存在も住宅地不足に拍車をかけてきたであろう。
 今日紹介の住まいは古い住宅密集地、野球のホームベースをいびつにした変形五角形の敷地をしていた。二世帯の住まいは土地形態から無理だろうと考えた施主は土地を手放し、新たな矩形の土地入手を考えていた。しかし変形した土地の魅力を逆に住まいの面白さに提案することにした。
 お互いの所帯は上下階に独立した住まいを望んでいた。ある程度敷地にゆとりがあり実現可能な状況にあった。上下階の住まいを各敷地境界のラインに平行の住宅形態にした。結果、中央部分に敷地の形態と相似形の中庭ができたのである。そしていびつな中庭が上下階の所帯を貫く造りになったのである。
 中庭を通じて孫と祖父母が声を掛け合ったり、その場が朝夕の屋外のリビング・ダイニングになったりとお互いの所帯にとって有意義でかけがえのない空間になったのである。また、玄関アプローチではお互いの外出・帰宅の気配が確認できるつくりにした。近隣の住宅環境が変わっても光・風の取り込み等ハード・ソフト共、居住性が将来も変わらない家の仕掛けにした。
 親子二世帯の住宅はさまざまな居住形態がある、ライフスタイルが異なっていて当然だと思う。しかし親子所帯が無味乾燥に独立していたらそれは賃貸マンションとさほど変わらないのではないだろうか。独立したつくりであろうが、お互いの住まいが何らかの仕掛けでつながり気配を感じながら住むことでさらに二世帯住宅の意義深さが増すのではないだろうか。
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012
竹林のある家  新聞タイトル:『竹林のある家』
見出し:市街地で自然を楽しむ/四季の光と風実感

 長年住み慣れた住まいを壊すことになった。市街化された地域に区画整理が入り敷地の一部が道路になるというのである。六十五坪の土地は五十坪になりおまけに法規制のために建築可能な部分は三十五坪およそ半分になった。
 敷地の周りはアパートに囲まれて、近い将来建物が密集するのは予想ができた。密接した隣家同士のプライバシーを確保しながら自然と一体の暮らしができないものかと考えた。狭小な庭を鉛直方向へダイナミックに楽しめる仕掛けをした。縦方向へ連続の各部屋に並行して清涼感あふれる七㍍高の竹林を設け、光・風そして四季の竹林の表情が望める住まいをめざした。    
 適度な隙間のある木製のルーバーを外壁面に設置してその間から入り込んだ風が竹林を通り抜け各部屋に取り込まれるような住まいの構成にした。また、ルーバーのお陰で夏場の灼熱がコンクリート壁面を直接暖めないようにすることで熱帯夜から幾分開放された。
 一階玄関に通された来客はこの竹林を真正面見ることになる。そしてターンして室内に案内される。玄関先からは室内の様子が覗けない仕組みになっている。これは先人が伝統家屋で考えた「ヒンプン」を現代流に解きなおしたアイディアでもある。
 建替え前の住まいを見に行ったときのこと。雨上がりでもないのに小さな水の流れが隣の空地から境界のフェンスに直角にぶち当たっていた。いやな予感がした。以前に石垣島の古老に聞いたことがある。もともと川があったところを人為的に造成しても大雨が降ればそこにはまた川が出現することがあるという。住まいの湿気が気になった、シロアリの被害を受けていると直感した。残念ながら住宅に入って予想は的中してしまった。水廻り・和室を中心にシロアリの被害を受けていた。
 その解決策として住まい全体を約一・五㍍高床にして地盤面からの湿気を排除した。またシロアリの餌となりやすい木材類を床廻りに使用せずにシロアリにとって住みづらい環境にしたのである。
 われわれ沖縄の先人は、理想的な敷地環境を探し求め住まい・集落を築いてきた。今日、そのような環境の土地を入手することは、ほとんど不可能に近い。むしろ理想的な敷地環境でない場合がほとんどである。しかし、厳しい環境であればあるほど解決するために様々と知恵を絞りアイディアを練るのだと思う。
 住まいづくりでは自然の脅威、近隣の集落の変化など環境条件は我々人間の力では変えることのできないことが多い。しかし厳しい条件も考え方次第では創意工夫で豊かで楽しい住まいになるような気がする。 
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013
二棟の家  新聞タイトル:『分 棟』
見出し:先人の知恵と工夫/向きの家を創る  

 沖縄の古い集落では瓦葺の家屋が二棟、三棟と分棟になって軒をつらねている住まいをときおり見かける。なぜ先人は棟を分けて家屋を造ったのであろうか。
 南からみると右側の大きな家屋をフヤー、左側をトーラと八重山では呼ばれている。それぞれ居住用と炊事用に使用されるのが一般的。首里王府の禁令等もあり明治以前は大きな家屋ができなかったという歴史背景がある。
 そして自然の脅威台風に対する防備のために先人は家屋の構造、暮らし方に策をめぐらし家屋を分棟にしたようである。その工夫と知恵を集積して伝統的な家屋は造られてきた。構造は軒を低くし柱や垂木を太くした平屋である。居住、炊事、そして貯蔵の部分と暮らしの機能に応じて家屋を分棟化している。つまり一棟の屋根面積を少なくし風の力を分散させるようにしているのである。そして倒壊した場合に備え再建の労力を少なくしていることもわかる。
 敷地内の棟の配置をみると火を使うトーラは風下の西側。それは火災時に煙や火を敷地の家屋に入れないようにしている。
 また各家の東側、南側の福木の防風林は隣家からの延焼防止にもなっている。家の構造から配置にいたるまで自然災害に対する先人の様々な知恵と工夫が実感できる。
 ところで北国の寒い地方の人は体が大きく南の暑い地方の人は体が小さいと言われている。大相撲の力士の出身地をみるとうなずける。一般に容積に対するその表面積の割合は反比例するとされている。
 つまり、北国の人は体を大きく進化させることで体の表面からの熱の放出を少なくさせ逆に南の人は小さく進化させて熱の放出を多くして涼を取れるようにしているという説である。その真偽のほどはともかく。
 同じ容積の建築をひとつの塊として造るよりも幾棟かに分散して造るほうが壁面そして窓の開口部分が多く確保できるのである。先に書いたように先人は台風から家屋を守るために小さくし分棟にしたという考えが建築界では通説。家屋を分棟にして表面積を増やせば多くの開口部が確保できることを先人は知っていたのであろう。
 雪深い飛騨高山の大きな合掌造りの家屋はその逆の考えである。こうして自然災害から家屋を守り快適な南国の家を先人は実現してきたのである。
 現代住宅も家屋を分棟にして自然の風を感じられる夏向きの住まいに創ってみたいものである。
『住まいは夏を旨とすべし』〔徒然草・吉田兼好〕
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014
音楽家夫妻の家  新聞タイトル:『公園とつながる家』
見出し:広場を共有する/ライブ演奏も可能に

 今日紹介の住まいは、米軍基地の返還跡地に建つ親子2世帯住宅、音楽家の家である。
土地を初めて見たとき我々の先人の探し求めた「風水の適地」はこのような環境ではなかったのだろうかという思いがした。  
 北側に小高い丘、南側に傾斜した日当たりのいい環境にあった。琉球石灰岩張りの幅広階段が市の公園の一部として隣接していた。反対側の隣地は当時まだ建物は建っていなかった。敷地の規模からアパート・マンション等の集合住宅が建つのは大よそ察しがついた。
 アパート暮らしで窮屈な思いをしていた施主は、新居では近隣を気にせず思いっきり音を出せる住まいを夢みていた。当初、隣地との間に空地を設けることを希望していた。ところが、防音は建築技術的に対処可能であったのでまったく逆の設計提案をした。
 住まいを隣地側に寄せて公園側に広場を設け公園と連続した12㍍×15㍍の開放的な空間を提案した。さいわい公園には一列に植えられた三本の相思樹があった。その列に平行に沿うようにリズミカルに三3・2・1と住まい側にも同じ木を植えた。
 この場所は住宅の庭なのか公園なのか?
 広場に立った誰もが妙な錯覚を覚えてしまう。10年も経てば清涼感のある相思樹の樹林と住まいが一層マッチするに違いない。
 住まいの1階部分に親の所帯・2階は子の所帯その中央に5㍍×5㍍の空間が空けられステージになっている。北側の丘に抱かれ、2階テラスと住まいがステージを四方から取り囲み見おろすように観客席ができている。今年で3度目の夏を迎える、四季折々・四回の夕暮れ時ライブが恒例になった。ビール・ワイン片手の友人知人そしてお隣近所の人の姿が観客席にある。いつの日か広場をステージに幅広階段を観客席にしてオペラを開催することが施主と建築家の夢である。
 建築が都市の中で分節・断片されがちな昨今だが隣接公園に溶け込ませるように街の連続性を意識して造った住まいである。
 ヨーロッパの大学の建築学科学生は最初の講義で敷地周辺スケッチを指導される。西洋の歴史的な建造物を見ると街との連続性の考え方の違いがうなずける。
 都市化が急速に進む今日だが建設を急ぐことない。近隣・集落・都市とのつながり、そして将来像を描きながら施主と共に住まいを造ってみたいものである。
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015
光井戸のある家(東町の家)  新聞タイトル:『光井戸のある家』
見出し:密集地に外気を呼ぶ/自然の恵み享受

 郊外の住まいに自然を取り込むことは難しいことではない。ところが都会の密集地では容易なことではない。
 今日紹介する住まいは那覇の中心市街地で回りには八階建てのマンション、アパートが林立した「すり鉢状」の環境にある。
 外気に接する壁面は正面の道路だけ。閉塞的な状況で、しかも公庫借り入れ限界三十坪の敷地スペース。そこに二世帯住宅+貸し店舗(美容室)の併設が要求された。希望の部屋数、全体の床面積をチェックして最終的に四階建てと決まった。
 さて、この密集地の息苦しさをどう解決するか。設計者側の提案は、建物中央部に五㍍×三㍍の地上から空に抜ける空間を設けることであった。狭い敷地にさらにフロア面積が小さくなるような矛盾した提案である。
「狭い土地にこのような無駄な空間を設けるのですか?」
 予想通りの施主の言葉。
 設計者側として、これで風通しのいい開放的な住まいが実現できることを模型スケッチで説明した。空間のもつ意義を理解してもらい、設計の意図を納得してもらったのである。
 名付けて「光井戸」。
 水周り以外すべての部屋はその光井戸に面するようにし、光井戸をわきに見て歩く廊下で各部屋は、結ばれている。この光井戸が各部屋分棟のような住まいが完成した。すべての部屋は外気に接する仕掛けとなった。
 光井戸は建物の真中を突き抜ける煙突状になっている。天空から落ち込む光は各部屋に差し込み、風は最下階のピロティから通り抜ける。都会に建つ狭い敷地の都市型住宅にしては、予想以上にお明るく風通しのいい住まいが実現した。
 一見無駄な空間が建築場所によって、住まいづくりの核となった一例である。
 沖縄の島々で。先人たちは自然の恵みを当然のように取り入れて四季折々暮らしてきた。近年、離島の小さな島々を歩いていると外壁面に冷房の屋外機が目に付く。しかし、・・・と考える。人工エネルギーに頼らずとも、自然の恵みを享受できる住まいは可能なはず。ちょっと立ち止まって、沖縄の住まいを考えてみたい。

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016
海んちゅの家  新聞タイトル:『居住環境変えた家』
見出し:外部空間との連続性重要/将来の変化考慮も

 三方住宅に囲まれて風通しの悪い住宅密集地。一軒の住宅の建築が明るく風通しの良い開放的な環境を生み周辺隣地の居住環境を一変させた住まいが今日紹介の家。
 新しく区画整理し新築の住宅がニョキニョキと建ち始めた新興住宅街とは逆に、すでに住宅が建ち並んだ成熟した町並み。建替えが徐徐に進んだ密集市街地で築三十年の住宅を建替えることになった。
 道路面以外の隣家はひさしに手がとどくほどの近接状態。昼間から人工照明に頼る隣家の暮らしは容易に察しできた。当然ながら自宅も同様な暮らしであったからである。
 以前の住まいでは道路側の面に空地を設けていた。新築の住まいでは全く逆転の提案をした。建物を道路側に寄せて東側に開放的な空地を確保したのである。新しくできた空地を隣家が囲い込んでいる状態である。
 その結果、新築の住まいも隣家も昼間から人工照明に頼る必要はなくなった。おまけに以前鉢植えにしていたマンゴーの木はその空地の一角に地植され結実するほどに成長してくれた。
 敷地全体がすり鉢状になっていたため居住性を考慮して一階部分は玄関、駐車場とした。二階の中央に六㍍四方の外部空間を設け木製床材を敷いた。密集住宅の中にあって完全なプライベートな中庭空間が実現したのである。リビングとダイニングに囲まれたこの空間は半戸外状態、完全に独立した家族の生活の場として活用されている。そこの屋根は一面パッションフルーツが覆い、木漏れ日と涼風が灼熱の夏を忘れさせてくれている。
 敷地には先人が掘ったと思われる古井戸があった。飲み水以外の全てに使用できるほどの清水で庭の散水・トイレの洗浄水・洗濯用水に利用できるありがたい自然の恵みである。幸いにも幾年かに一度やってくる断水の時にも涸れることは全くなかった。
 住まいの計画の際、風通し・日当たり・日除けなど様々と考える、これは当然大切である。しかし、将来の周辺の状況を考慮せずにとめどなく自由に造り続けるとどうなるであろうか。廻りの環境は日々目まぐるしく変わっていく。環境の変化を当初にある程度予測プログラムして住宅を考えることが重要だと思う。
 完成後に周辺の状況が変化し予想外に薄暗く風の通らない住まいになってしまった。ということはよく聞く話である。新築時に一時の快適性を盲目的に優先するあまり陥った誤りであろう。外部空間との連続性・将来の近隣の変化と可能性を十分検討考慮することで我が家・近隣の住まい共、居住性が一層向上してくるのではないだろうか。
 またこのような考え方が都市の中で重要視される時代と思う。
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017
ぎんねむホールのある家  新聞タイトル:『借 景』
見出し:外魅力空間を再発見/住宅設計に取り込む

 「借景」という言葉がある。辞書によれば「遠くの森や山などの景色を庭園の一部として見立てること」とある。
 住宅設計の際、敷地周辺を幾度となく歩くことにしている。それは廻りの環境調査と住まいから借景できるシーンを探すのが目的。もちろん常にそのような場面が実現できるわけではないが可能な限り叶えられるように心がけている。
 今日、都市部では遠くの森や山を借景できることはもうない。しかし必ずしも森や山でなくてもいいわけである。
 いわゆる敷地周辺の魅力的な空間を取り込めればと思う。
 もう八年ほど前になろうか。区画整理地に隣接する旧集落に古くから地域の人々に利用されている歩行者専用道路があった。全長五十㍍道路のほぼ中央に春に見事に咲き誇る一本の桜の木があった。その近くにはアマリリスなど幾種類かの草花が季節ごとに歩行者の目を楽しませてくれていた。
 伝え聞くところによると近所の人々が自然に植栽し手入れをしていたという。桜はこの場所に何年立っているのだろうか。幹周り二十㎝、高さ二・五mほどに成長していた。
 その歩行者専用道路の延長する場所に計画住宅の敷地は接していた。住まいの庭先の延長に桜の木がある情景を描いて設計をした。そして住まいは完成し想像通りの借景が実現したのである。
 ところが、その歩道は当時から路面整備がまだなされておらず行政はいずれ整備を行うとのことであった。整備の際には是非桜は残してくれるように事前に幾度かお願いしておいた。
 しかし、それから八年経った今年、その桜の木は残念ながら何の前触れもなく無残に撤去されてしまって愕然とした。その結果、地域の人々愛着のあった道路は黒っぽいアスファルト舗装の味気ない道路に姿を変えてしまった。
 この地域は区画整理地内にしては公園が極端に少ない。それゆえ車が乗り入れることにないこの空間は将来こぎれいに整備され子供たちの遊び場とし、また近所の老人達の憩いの空間になるものだと大いに期待していた。
 街の中には緑化空間、少々変化した特徴的な道路、小川など魅力的な場所がある。個性のなくなってきた街・都市が叫ばれる今日、近隣にひっそりと残る魅力的な空間を再発見してみたらどうだろうか。
 そして、その空間を住まいに取り込んで借景すれば魅力の空間は点から線へ線から面へと連続的に広がっていくのではないだろうか。そうすれば街全体は個性的で魅力的な街に変わっていくに違いない。
 通常、借りたものは返さねばならないし同時にお金が必要な場合とてある。
 「借景」は魅力空間を一方的に借りて返却不要、また金銭不要でもある。
 大いに利用しない手はないと思うがいかがであろう。
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人類学者の家(閉塞から開放へ変貌の家) リ・ライフする家 住み継ぐ家 東シナ海を望む家 シンボルツリーのある家
001
人類学者の家(閉塞から開放へ変貌の家)   新聞タイトル:『大変身!リフォームの家』
見出し:生活スタイルに合わせる/大空間ライブラリー実現
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 家中、足の踏み場もないほど「蔵書の山」。大規模なリフォームで生活が一変した住まいが今日紹介の家。
 官舎住まい、ご夫婦教員子供一人の家族構成、犬を飼いたいという子供の夢を叶えるために中古の建売住宅を購入したのが七年前。当初はそれなりに広々とした生活であった。その間に末の子が生まれ四人家族になった。職業上蔵書の数は年々とめどなく増え続けた。購入時に子供部屋に充てる予定の二階の部屋は本に占拠されてしまった。そして二階から本はあふれ出し階段のステップに積み上げられた状態になってしまった。
 二階フロアの半分が増築可能な造りになっているのは初めて住宅を訪ねたとき確認できた。施主はそのスペースを書架に充てれば住まいの不便さがすべて改善されると考えていた。がしかし、それだけで問題が解決しないことが家の中を一巡してすぐに判った。
 原因が本だけではないのであった。購入した時点にすでに住宅として問題があったのである。まず、間取りに問題があった。各部屋に必要な収納がほとんどない。そうなるとその部屋に納まるべきモノは次第にオーバーフローするのは当然。その上、他の部屋を経由して目的の部屋に行く間取り、独立性がないのである。それにほとんどの部屋が昼間から人工照明に頼る閉鎖的な住まいになっていた。さらに水廻りが住まいの中心に位置し設備・メンテナンス上、様々な問題があった。
 柱・梁・壁等構造的に必要な部分をチェックし間取りを全面的変える大胆な提案をした。結果、全ての部屋が機能的で収納力たっぷりの開放的で明るい住まいに変身した。
 天井高四・五mの開放的な大空間「ライブラリー」は家族で研究・勉強できる部屋とした。外に面する壁面をほぼ全面書架にして一万四千冊の本が収納できるようになった。一・八㍍角のゆったりとした中央のテーブルは家族全員で機能的に使用できるように造り付けにした。二階には子供部屋が二室できた、そして成長に応じて簡易なリフォーム行いライブラリーが水平に拡張できるように今回のリフォームで将来の住まい計画まで行った。
 住まいは家族構成・ライフスタイル・価値観によって様々と変わる。新築の場合には希望は大よそかなえられることが多い。しかし、中古住宅を購入した場合にすでに問題が発生していることもある。間取り・耐久性を慎重に検討して購入することは当然と思う。その上、単純に家屋としての判断だけでなく施主の趣味個性も活かせるかどうかの可能性も大いに追求すべき時代になってきた。





002
リ・ライフする家  新聞タイトル:『家のリフォーム』
見出し:再生で新築感覚に/生活の変化に合わせ

 世界的な建築の再生・リニューアルブームである。ウイーンではガスタンクを住宅+オフィスビルに再生したダイナミックな建築もある。今なぜ「再生」なのだろうか?
 沖縄の建築物は二十年前に比べれば施工技術及び品質は数段向上し建築の耐用年数が延びている。一方ソフト面では子供の成長・進学・独立でライフスパンが短くなってきた。つまりハードとソフトが反比例してきているのである。
 結果、耐用年数の延びた建築構造体を効果的に活用して現時点の生活に合った住まいに再生への志向が増えてきているのではなかろうか。ところが多くの場合不満足な解消だけでは魅力ある住まいにはならない。
 リフォームは新築と比べると自由度にも制限があり当然不利な点もある。しかし、構造体のみを残してストリップ状態からスタートすることでリフォーム前を思い出せないほどの変化した住まいを体験できる魅力もあるのである。
 今日紹介の住まいは一度だけのリフォームではなく子供が巣立っていくたびに住まいが再生変化していく画期的な計画である。
 中古住宅を十二年前に購入し子供の成長によってライフスタイルが変化した、その結果住まいがいろいろな面で限界状態になってしまった。夫婦・子供三人の五人家族、リフォーム前の住まいを見て不満・不便がすぐに理解できた。個室間は障子など簡易な建具で仕切られプライバシーなどほとんどなかった。その上、各部屋には収納スペースが全くなかった。その上、水廻りは住居の中央に位置し窓がなく暗い換気の悪い住まいであった。
 リフォームでは当然ながら不満・不便な部分をすべて解決した、そしてリビングは同時に主人の趣味である水中写真の展示空間に変えていく設計提案をした。隣の個室は連続した子供部屋、間仕切りはあえて固定の壁にしなかった。おそらく年かさの子供から順次独立していくであろう、間仕切りは施主の日曜大工程度の作業で順次取りはずすことができる可動の壁にした。末の子の独立時には四㍍×十二㍍の連続した壮観な展示ギャラリーが実現する仕掛けにしたのである。
 建築構造体と人間の寿命は共に延びてきた。同時に沖縄は他府県に比べ子供の数が幾分多い、つまり子供部屋も多くなるわけである。そうであれば子供の独立後の部屋を無駄にせずに大いに活用すべきだと思う。そして施主家族の趣味・ライフルタイルを尊重した再生計画を考えることで沖縄には魅力的で個性ある住まいが実現できるのではないだろうか。
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003
住み継ぐ家  新聞タイトル:『住み継ぐ家』
見出し:建築を長く使う時代/一階に親二階に子

 『角(つの)出し住宅』という表現がある。県外の人が初めて耳にすると「怒り狂った人の住まい」と勘違いしそうな物騒な言葉である。
 そうではなくて新築時に二階部分に将来の増築の可能性を残して造った住宅のことである。
 二階の四隅から一㍍少々突き出した柱がツノ状に見えることから付いた名前である。
 戦後、自宅を入手して十分満足な時代があった。そして建築技術の進歩によって建物の耐用年数が数段に延びた。将来の増築を考慮して法的・経済的にゆとりの範囲内で造った住まいが「ツノ出し住宅」の歴史的な背景である。そのバリエーションも平屋で屋上部分全てにツノがある場合、あるいは二階の一部は部屋で残りがテラスの場合など様々である。
 今日紹介の住宅は二階建ての住まい。一階は一・二番座を構えた伝統的な平面構成、二階には子供部屋が四室+テラスがあった。いわゆる先ほどの「角出し住宅」に類する造りであった。二階は子供達が順次独立し全ての部屋は物置同然になっていた。二階に住んでいた施主は結婚と同時にアパート住まい、子供も三人生まれ五人家族となって手狭な暮らしであった。育った家を取り壊し新築をと考えた、しかし構造体はしっかりしていて両親のライフスタイル上なんら問題はなかった。取り壊すには忍びなかったのである。かつての子供部屋そしてテラスを含め二階の柱・梁を残して全て改築することにした。
 一階の両親の住まいの玄関とは別に南側にらせん階段からアプローチする二階専用の玄関を造った。それは、お互いの所帯の来客への配慮からである。元々の一・二階を結ぶ内部階段はそのまま残し年老いた両親所帯との連続性を意識した造りとした。伝統的な平面構成の一階とは異なり二階は若夫婦の住まいらしくモダンなデザインにした。
 高台という立地条件を活かし見晴らしのいい位置に住まいの核となるリビング・ダイニングを設置。まだ幼い子供達の部屋は当分オープンスペースとした。成長によって部屋が臨機応変に間仕切り可能なように照明・IT機器配線等を十分プログラムした造りにした。将来、世代交代の時期になって夫婦が一階に住み二階は次の世代に継いでいくことが可能な住まいが実現したのである。
 ヨーロッパでは住宅を幾世代も住み継いでいくことが多い。我々現代の住まいも新築時に将来を見すえたプログラムをきちっと構築する必要があると思う。そうすれば住宅を一世代の短期間の消費物にすることなく住み継ぎすることが可能になるであろう。また、そのような建築が求められる時代になってきているのではないだろうか。
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004
東シナ海を望む家 新聞タイトル:『東シナ海を望む家』
見出し:リフォームで展望抜群/将来は喫茶店にも

 以前、この連載で子供たちが巣立ち夫婦二人暮らしになったころには住まいが趣味の写真ギャラリーに変貌するというテーマのリフォームの家を紹介したことがある。
 今日紹介の住まいはすでに子供達はほぼ独立し年老いた両親を看ながら退職後の将来の暮らしをプログラムしたリフォームの家である。
 那覇の高台に建つ一戸建ての住まい、幸いにもこのあたりは緑豊かな自然が今でも残っている。残念ながら新築当時には周りの豊かな自然をさほど意識せずに設計した住まいのようであった。那覇に建つ住宅にしては敷地がゆったりとし庭先空間も申し分ないほど恵まれた環境にあった。一階は年老いた両親、二階は施 主所帯の二世帯の住まいであった。二階は就学期の子供達に各自部屋を与えられる暮らしであった。
 ところが、子供達が進学独立し巣立った後、数ある個室は物置同様になってしまったのである。リビング・ダイニングそして夫婦寝室はある程度ゆとりがあり一見、生活に不便は感じられなかった。ところが暮らしぶりをじっくり施主から聞かせてもらっているうちにこの住まいで不足していることが徐々に分かってきた。
 家の周りの豊かな自然環境に気づかず、そして取り込むこともせずに暮らしてきたのであった。これまで子育てに精一杯でそのようなゆとりがなかったということでもあった。
 残念ながらリフォーム前の暮らしでは東シナ海に浮ぶ慶良間諸島を夫婦の寝室からしか望めなかった。魅力的な景色を家族で楽しむことができない間取りになっていたのである。リフォームではその場をリビング・ダイニングにした。全長十六㍍幅の三方パノラマの窓から東シナ海の夕日を見ながら暮らせる提案をした。幸いにも隣地は下り傾斜になっていた、この環境はおそらく将来も変わらないと思われる。
 二階の全室をリフォームして部屋を有効活用することにした。一階と二階に別々の玄関を設け来客はらせん階段を上がり慶良間諸島を遠くに望みながら二階に招き入れられるようにした。
 近い将来、見晴らし抜群のこの空間は「東シナ海を望む喫茶店」となる、そして夫婦がそのオーナーとなるのが退職後の二人の夢である。 
 この家では子供達が独立し空いた部屋をゆとりのある空間に変えていった。同時に土地環境のもつ魅力を再発見しそれを活かして退職後の暮らしまで計画したリフォームを実現したのである。
 リフォームは単純な不便解消にとどまらず将来を見据えた夢のひろがる計画まで求められる時代になってきたのではないだろうか。
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005
シンボルツリーのある家

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